― 2012年1月 B ―

2012年1月15日には後白河上皇、平清盛ゆかりの寺、三十三間堂(蓮華王院本堂)では通し矢(江戸時代は矢数)が行われます。 

 























一澤喜久夫 画
若き射手  
         ― 烏帽子水干下腹巻姿 ―  


京都では他にも弓を引く行事がいくつかあります。
下記に当店の知る限りのものを記しておきます。
間違うといけませんので、詳しくは観光案内所か各種主催者へお問い合わせください。

                                   
毎年1月12日 伏見稲荷大社 奉射祭(歩射) 烏帽子狩衣
2012年1月15日 三十三間堂 通し矢 現代弓道装束 
毎年1月16日 上賀茂神社 武者神事(歩射) 小笠原流
烏帽子直垂・水平
毎年5月3日 下賀茂神社 流鏑馬神事 小笠原流
公家武官騎射装束
武家平騎射装束
5月頃数年に一度 城南宮 流鏑馬 倭武騎馬会
武家狩装束
毎年9月頃
(萩まつり中)
梨木神社 三三九手挟式(歩射)  小笠原流
各時代装束甲冑 
2012年10月21日 上賀茂神社 笠懸神事 武田流
武家装束 
次回不知 藤森神社 甲冑流鏑馬 倭式騎馬會
甲冑武装 
       


一澤喜久夫 画 
1983年
 
 
流鏑馬(やぶさめ)・狩装束(かりしょうぞく=かりそうぞく)とは  
 流鏑馬とは馬上から矢継ぎ早に射る練習に馳せながら鏑矢(かぶらや)で的を射る射技で、方板を串に挿んで三か所に立てた的を次々に射るものである。
 その射手の装束は、烏帽子(えぼし)の上から綾藺笠(あやいがさ)をかむり、直垂(ひたたれ)または水干(すいかん・絵は水干垂領=すいかんたりくび)を着け、手に蝶(ゆがけ=手袋)をはめ、左腕に射(弓)籠手(いごて)差し、腰下に鹿皮でできた行縢(むかばき・絵は鹿夏毛)をかけて、物射沓(ものいぐつ=馬上沓・絵は毛沓)をはき、腰刀をたばさみ、太刀をおび、鏑矢をいれた箙(えびら)を負い、手に弓、鞭(むち)を持つ。
 この装束は狩猟・遠行などにも用いたので、狩装束というのである。
 
一澤喜久夫記  


   一澤喜久夫 画
 
仁田(新田)四郎忠常
                 ― 狩装束姿 ―
 建久四年、源頼朝は富士山ろくで巻狩りを行った。そのとき、一頭の手負いの大猪が出てきたのを、仁田(にった、にたんとも読む)四郎忠常は弓で仕留めようとし、馬もろともはね飛ばされたが、とっさに猪の背中に後ろ向けに飛び乗った。
 そして落とされまいと尾を手綱として走りまわり、笠、烏帽子、沓(くつ)、行縢(むかばき)なども飛び、大童になりながらも腰刀で仕留めたので、頼朝以下の人々に感嘆しないものはなかったと言う。
 このあと曽我兄弟が工藤祐経を討ったが、そのときも四郎は曽我十郎祐成を討つ手柄をあげた。しかし負傷し、また、のちに殺されたのは、この猪が山の神であったためそのたたりであったと言う。    
                         ― 曽我物語より ―

 吾妻鏡などによれば、四郎は頼朝の挙兵以来仕え、平氏追討や奥州征伐に活躍し、巻狩りで曽我十郎を討ち、のち将軍頼家の命で北条時政を滅ぼそうとして成らず、加藤景廉に殺されたということである。
一澤喜久夫記 
 ※亥年に因んで2007年(平成19年)年賀状使用
 





















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